私たち普通の日本人が、学校で教わる具体的な日本の歴史は、せいぜいさかのぼっても高々3~4世紀の仁徳天皇のころからでしかありません。
エジプト文明は5千年、中国文明は4千年、ギリシャ文明でも3千年もの昔のことなのです。こんなすばらしい文化と伝統を持つ日本の歴史が、2千年にも満たないなどということがあろうはずはないのです。
紀元前後以前の日本の歴史は、何か重大な理由があって、故意に隠されてきたのに違いないと私播磨屋助次郎は考えています。そしてそれは多分こういう理由だろうと推測します。
紀元前後ごろに鉄器を持って渡来し、日本を武力支配しようとした中国人たちが、自分たちを正統化するために、それ以前の美しい日本(戦争の概念すらない天皇を中心にした家族的な国)の歴史を隠ぺいする必要があったのだろうと想像するのです。
今につながる皇室は、そんな彼らが、日本統治の非常に有効な手段として、大切に温存しうまく利用し続けてきたものなのではないかとも思います。
本シリーズは、こんな日本史観を持つ私が、日本文化の本質的すばらしさを広く世界に紹介するために、年4回発行の弊社ダイレクトメール紙上に発表し続けてきた論文集です。お楽しみください。
2014年 秋号
皇祖とされる天照大神は、今から数千年から一万年前後昔の神代に実在した天皇(当時の呼称は不明なので仮にこう呼ぶ)だったのではないか──私播磨屋助次郎はこう考えています。
いずれにしてもこの天照大神が「和を以て尊しと為す」を国是とする、理想の王道国(和の国)の礎を築いてくれたのです。そしてその後代々の天皇もその教えを正しく継承し続け、日本は遥か後年まで奇跡的に理想の王道国であり続けたのです。
そんな天照大神の教えの真髄は、自然界の根本原理、すなわち「全体は個のために、個は全体のために」でした──因みに現代の人類社会は、それとは真逆の覇道(エゴとエゴのぶつかり合い)で営まれており、今や破滅寸前なのですが。
それはともかく、日本人なら誰でもよく知っている「不自然永久には続かず」「何事も自然が一番」は、こんな長く尊い精神的伝統に基づいた、私たち日本人固有の誇るべき大叡智であるのです。
断言します。人類の文明は今後急速に、現行の不自然極まりない「覇道」から、天照大神が説きかつ実践した自然な「王道」へ大転換します。いえ、何が何でも大転換させねばなりません。
断じて起つべし皇太子!断じて開くべし天岩戸!
2014年 夏号
建築家を志望していた若いころ、どうにも不思議でならないことがありました。
それは、仏教寺院建築の美しさ(完成度)の内外格差についてでした。本来伝来元であるはずのインドや中国・韓国のそれらより、日本の東大寺や法隆寺などの方が圧倒的に美しい(完成度が高い)理由が分からなかったのです。
こう書くと、手前ミソが過ぎるとお叱りを受けるのは百も承知していますが、その思いは還暦を過ぎた今も全く変わりません。ただし理由は分かりました。以下にその核心を説明します。
昨年十月、伊勢神宮の第六十二回式年遷宮が無事終了しました。その際、各社殿と共に、数々の「御神宝」もまた、全て新しく作り直されたことをご存じでしょうか。
美しいと言ってあれほど美しい工芸品は、世界中どこを探しても、まずないだろうと思います。
なぜなのでしょう。それは、先の仏教寺院もそうですが、それら全てが、天皇の命で作られたものだからなのです。別の表現をすれば、真心を全開にして全身全霊で作られたものだからなのです。
お分かり頂けましたでしょうか。弊社のおかき作りも、心は同じであらねばと思うのですが──苦笑
2014年 春号
冒頭から妙な質問で恐縮ですが、こんなことを考えたことはありますか──笑うのは、なぜ人間だけなんだろう。犬も猫も猿も笑わないのに。
何を隠そうこの素朴な疑問こそが、私播磨屋助次郎をして、人類積年の大命題「人生とは何ぞや」の正解を、見事に解明させてくれたのです。
笑いが喜びの表情であることに、誰も異存はないと思います。そして笑うのは、なぜか人間だけなのです。これはすなわち、私たち人間だけが、他の生き物にはない特別大きな喜びを、自然ながらに与えられている証拠なのではないでしょうか。
おいしい物を食べたり、恋人ができたり、家を建てたり、そんな自分一個の小さな喜びなら、人間以外の生き物たちにもあるはずです。しかし、彼らは笑わないのです。
もうお分かりですね──自分以外の他者の喜びを自分の喜びに転換できる喜び、これこそが、人間だけに固有の大いなる喜びの正体なのです。
小さくは家族各人の喜びを、大きくは人間社会全体の、いえ、生きとし生けるもの全ての喜びを自分の事として喜び合う─こんな「和の文化」の実践こそが、人生本来の在るべき姿だったのです。
「和の国」日本バンザイ!日本人バンザイ!
2013年 秋号
断言させて頂きます。もしこの地球上に「日本」がなかったら、世界は未だに、白人独占支配の暗く陰惨な植民地時代が続いていたことでしょう。
日本は本当に不思議な国です。その不思議さの原動力こそが、標題の「勤勉性と団結力」なのです。
そんな日本人固有の二大美点が、バブル後急速に失われてきたのはなぜなのでしょう。また、一体どうすれば回復させ得るのでしょう。私播磨屋助次郎の考えは、以下の通りです。
結論から申し上げます。それは「天皇意志」の表明がないからなのです。その回復には、明治天皇の「富国強兵」昭和天皇の「戦後復興」に次ぐ、新たな天皇意志の表明が是非とも必要であるのです。
天皇意志に従って一致団結してがんばる──この国民特性は、理屈ではないのです。私たち日本人の精神の奥深く刻み込まれた心のDNAなのです。
戦後復興は十二分に成し遂げました。さあ次は何ですか──日本人は、心底本気でがんばれる次なる目標を渇望しているのです。
「自然回帰」──今度は絶対にこれです。国民全てが諸手を上げて賛同出来る、日本本来の普遍的目標です。皆さん!「DNA」をフル活性させて、地球再生に向け力一杯がんばろうではありませんか!
2013年 夏号
今年は、二十年に一度行われる伊勢神宮ご遷宮の六十二回目の式年です。そこで、前回とは少し違った観点で、もう一度説明し直したいと思います。
前回は、遷宮そのものの直接的意義について色々考察しました。今回は、その間接的意義についての考察です。実社会との関連性を考え直すのです。
二十年に一度は、時代の小節目に当たるのではないか、また三回分六十年は、同じく大節目に当たりはしないか──そんな観点での再考察です。
ご存じの通り伊勢神宮には、皇室の祖神であり日本人全ての総氏神である「天照大神」が祀られています。その最重要祭儀が式年遷宮なのです。今回は来る十月二日の夜、一連の儀式のクライマックスである遷御の儀(ご神体渡御)が執り行われます。
天皇陛下初め皇族方全員が、心の襟を大きく正し全く新たな気持ちで、その日を迎えられるであろうことは、想像に難くありません。何せ今回は、戦後四回目六十年の大節目に当たるのだからです。
そんな天皇陛下のお心に、私たち国民一人一人も等しく心を重ね合わせる──これこそ、日本固有の美しい知恵でなくて何でありましょう。戦後六十年を全く反省することなく、金儲け一点張りの安倍日本──天罰が下らなければよいのですが。
2013年 春号
日本の諸文化全般を貫く重要な要素の一つに「簡素化」があります。
日本人は万事に、ごちゃごちゃした複雑なものより、すっきりとしたシンプルなものを好む傾向が強いのです。日本の衣食住を、世界のそれ、特に西洋のそれと比較すればすぐに分かると思います。
言い換えればこれは、日本人が、理屈っぽい複雑な心ではなく、清らかに澄んだシンプルかつ素直な心をこそ大切にするという証明でもあるのです。
またそれは、「自然を愛し敬い、自然と共に自然に生きる」を人生の理想の在り方と考える、日本伝統の自然観の発露でもあるのです。
日本人は古来、「自然」の本質は「清・明・直」すなわち「淡」だと達観してきたのです。
絵画また然りです。日本画最大の特長は、やはり「簡素化」です。日本画には、対象の本質だけを出来るだけシンプルに表現すること、また余白に語らせること、要するに描き過ぎないことが何より大切にされるのです。
近代日本画の大成者横山大観が、水墨画の大観と呼ばれるほど水墨画に傾倒したのは、そこに日本的美意識の極致を感得したからなのです。写真の水墨画、どうかそういう観点で鑑賞してみてください。
2012年 秋号
神話は一般的に、遠い遠い原始時代の出来事の伝承だと考えられています。しかし実際には、未来への予言であることが少なくないのです。
記紀(古事記・日本書紀)に記された標題の神話も、間違いなくそんな予言神話でしょう。
何も教えられていない若い人たちのために、話の概要を説明します。まずは用語説明です。
神皇とは、覚者(宇宙や人生の真理や真実に目覚めた覚醒人間)天皇のこと、人皇とは、一般的な普通人間天皇のことです。
──「人皇」の時代が長く続いたら、人間社会は対立と争いで乱れに乱れて、いつか必ず最終的破滅の時代を迎えてしまうだろう。
現実にそうなってきたら、心ある国民みんなであらん限りの知恵と力を出し合い、岩戸隠れしている天照大神(覚者の叡智の比喩的表現)を何としてでも天の岩戸から連れ出し、「人皇」を本来あるべき原初通りの「神皇」に戻すのだ。
そうすれば、対立や争いなどのありとあらゆる争乱ことごとくが自然消滅して、人間社会をまた元通りの美しく平和な「エデンの楽園」に戻すことが出来るであろう──
どうですか。非常に現実的かつ科学的な素晴らしい予言だと思いませんか。
今日の真実絶望的な行き詰まり状況を一発で完全解決できる確かな可能性が、この日本にあるのです。日本バンザイ!日本人バンザイ!
2011年 秋号
断言します。このままでは、私たち人類に未来はありません。そう遠くない将来に、第三次世界大戦(全面的核戦争)を起こして滅亡してしまいます。
その表層的原因は、人類相互の全く無意味な優劣競争(その必然的結末が戦争)にあるのですが、もっと深層にある本当の原因は、現代人類が正しい信仰心を忘失してしまったことこそにあるのです。
この世(自然界)は、万象万物全てを絶えず「自然に」とコントロールし続ける、ある種のエネルギー作用の絶対的支配下にあります。自然の営みが完璧なのは、このエネルギー作用のお陰なのです。
このエネルギーは、私たち人間一人一人にも、もちろん作用してきています。肉体に作用しているのは、誰にでも容易に分かることですが、実は精神にも、不断に作用してきているのです。
古来、私たち日本人は、この精神作用を「神」の心と考えて「まごころ」と呼び、真実尊いものとして何よりも大切にしてきました。
そしてこれこそが、日本伝統の神ながらの道、即ち神道の奥義であり、万国万人が等しく共有するべき、正しい信仰心の本義であるのです。
我々日本人が万一、この正しい信仰心に立ち戻れなければ、人類は滅亡するしかないのです───
2011年 夏号
『しきしまの大和心のををしさは ことある時ぞあらわれにける』
『しきしまの大和心をひととはば 朝日ににほふやまざくら花』
前者は日露戦争開戦時の明治天皇の御歌、後者は古事記研究で名高い本居宣長の代表歌です。
いずれも、日本人の香り高い精神性をテーマに、明治天皇の歌にはその男性的特性が、宣長の歌にはその女性的特性が、見事に詠い上げられています。
未曽有の天災(巨大地震)と人災(原発事故)に同時遭遇した、文字通り危急存亡の今こそ、全ての日本人が、この両歌の歌意を真実真剣に問い直さねばならない、歴史的運命の時だと確信します。
今般の天人二つの劇甚災害を、旧来通りの価値観のままに、単なる巨大な災禍だと安易に考えてはならないのです。母なる地球生命から日本全体への、愛の勧告メッセージだと考えるべきなのです。
今こそ、その勧告を素直に受け入れ、私たち日本人が全人類の先頭に立って、国の進路を、覇道(西洋的競合の道)から王道(日本的和合の道)へ大転換させねばならないのです。大和心本来の真の勇気と優しさをもって、環境問題に抜本解決への糸口を付け、地球生命全体を根本救済するためにです。
2011年 春号
爛漫と匂い咲く桜の花を見て思うことは、人それぞれでしょうが、私はなぜか不思議に、特攻隊の若者たちのことを思い浮かべてしまいます。
このシリーズでも、過去に二回取り上げてきましたが、今回は、世に余り知られていない回天特攻隊(人間魚雷)を取り上げさせて頂きます。
「回天」は、特殊な大型魚雷に人間が直接乗り込んで操縦し、そのまま敵艦に体当たり攻撃するという、何ともものすごい特攻兵器です。
写真のように潜水艦の甲板に固縛されて出撃し、敵艦を発見すると搭乗員が交通筒(潜水艦内から直接「回天」に通じる連絡通路)を通って乗り込み、潜水艦長の発進命令によって固縛バンドが外されて発進してゆくのです。一旦発進してしまえば、生還の可能性はゼロになります。「回天」には、緊急脱出装置が何も装備されてはいなかったからです。
この回天特攻作戦は、昭和十九年の十月から二十年八月まで続けられ、八十九名の搭乗員が戦死し、十五名が訓練中に殉職、二名が終戦時に自決しました。また「回天」を搭載した潜水艦とともに、三十五名の整備員と八百十二名の潜水艦乗組員が海に散っています。ただただ冥福を祈るのみです。
以上、おかき屋のDMらしからぬ話を長々としてしまいましたが、私が本当にお話ししたいのは、ここから先です。
航空機による神風特攻隊にしても、今回の回天特攻隊にしても、人生これからの花も実もある心身壮健な若者たちが、一体どんな心境で百死零生という凄絶無比な特攻出撃をしていったのでしょうか。
今日の大方の日本人には、彼らの思いや行動は想像することすらできないと思います。
しかし真実不思議なことながら、この私には、彼らの至純な真心が痛いほどよく分かるのです。
真の日本男児たる彼らは、悠久の大義に殉ずるためだと心を整理して、自ら進んで死地へおもむいていったのです。
白人による有色人種支配という地獄的世界情況を打破し、真心に基づいた全人類協和の王道楽土を実現する夢を、天皇と日本の将来に託して死んでいったのです。後に続くを信ずと言い残してです。
みなさん、今こそ、この日本が先達となって、その悠久の大義を実現するべき運命のその時です。
人類一万年の悪夢(人生を人間同士の優劣競争の場だと考える勘違い)を打ち破り真実恐るべき環境問題を抜本解決するのは、今この時こそなのです。
全ての日本人の心奥深く鎮座する特攻精神(利他の心)の大噴出を祈るや切なる、私播磨屋助次郎ではあります。
2010年 秋号
この世は、無限に大きな生命体です。そしてそのほんの一部分が、人類がイメージする無限大宇宙であり、その更に更に小さな小さな一部分が地球なのです。地球は、一つの小さな生命体なのです。
従って、この地球に生きとし生けるもの全ては、また在りとし在るもの全ては、その構成組織であり構成細胞であるのです。
もちろん人類とて、決して例外ではありません。人間個々は言うに及ばず、人類全体としても、単独で生きていくことなど絶対に不可能なのです。
人間は、肉体的にも精神的にも、母なる地球生命や同胞たる自然界から、絶えず生命エネルギーを与えられて、生かしてもらっている存在なのです。
ところが人類は、ひょんなことで(拙著『真実』に詳説)、人生は人間同士の優劣競争の場だなどと勘違いして、そんな有り難い「自然」からどんどん遠ざかってきてしまったのです。そして遠ざかるにつれて、当然ながら生命エネルギー不足となり、心身に色々と不調をきたすようになってきたのです。
日本庭園は、それを補充するべく生活の身近に配した「ミニ自然」なのです。万事に不自然な西洋庭園と違い、日本庭園が古来「自然」を何より大切に考えるのは、一にこのためであるのです。
2010年 夏号
『安らかに眠ってください 過ちはくり返しませぬから』
広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれた一文です。
終戦記念日とお盆の先祖供養のイメージが重なって、この国の夏は毎年、鎮魂と不戦の誓いを新たにする厭戦ムード一色に塗りつぶされます。
『よもの海みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ』
戦争の哀しさを詠われた明治天皇の御歌です。
そしてこれはまた大方の日本人の、いえ人間誰しもの正直な思いでもあるはずです。生まれつき殺し合いが好きな人間などいるはずがないからです。
しかしながら実際の人類史は、血塗られた悲惨極まりない、正に戦争の歴史そのものです。
なぜだか分かりますか。答えは簡単です。互いに優劣競争し合うからです。優劣競争にはゴールがないので必然的にどんどんエスカレートし、最終的には必ず戦争にまで発展してしまうのです。
従って本当の不戦の誓いは、競争(特に金儲け競争)の全面中止を宣誓しなければ無意味なのです。
ところでみなさん、実はこの日本がそんな本当の不戦の誓いを全世界に宣誓する日が、刻々と近付いているのですよ。日本バンザイ!人間バンザイ!
2010年 春号
「アメリカ人、特にその指導者層の多くは、今だに広島・長崎の報復を恐れている」こう言うと大方の日本人は、そんなバカなと一笑に付すでしょう。
しかしそれは厳然たる事実なのです。日本の報復が怖いからこそ、日本全国に米軍基地を配して監視の目を光らせ、また安保条約を盾に、日本の核武装を断固阻止し続けているのですから。
いえ、そんな他国批判はどうでもよいです。私が言いたいのは、日本人は何事に限らず概ね、悪く言えば忘れやすい、善く言えば根に持つことなく水に流すのが得意だということです。
それは多分、農耕民族に共通した特質であるのでしょう。欧米人は時間を、過去から未来へ直線的に流れていると観、日本人は、四季の変化を繰り返しながら螺旋的に流れていると観ているのです。
それ故に日本人は、済んだことは仕方がない、また春が来たらやり直せばいいんだと、何度でもたくましく立ち直り続けられるのです。
───そんな日本人に今また、いえ今度こそ最後の最後の究極的試練が、さし迫りつつあります。
国家破産と、それに続く「自然」への回帰です。しかし心配は無用です。今度もまた天皇に、安心安全な所まできちんと善導してもらえますから。
2009年 冬号
判官びいきとは、九郎判官源義経のような不遇の英雄に、同情しひいきする心情のことです。
私たち日本人は、概ねこの判官びいき派です。実利にさとく世渡り上手な、それ故に成功者となった兄頼朝よりも、誠一途で純真純粋な、それ故に破滅せざるを得なかった弟義経が大好きなのです。
足利尊氏に対する楠木正成、吉良上野介に対する浅野内匠頭、大久保利通に対する西郷隆盛、すべて全く同じ構図です。
また、たとえが少々飛躍しますが、米英に対する日本、特にその象徴的存在としての特攻隊への深い同情やひいき感情も、その本質は同じです。
要するに日本人は、直感的によく分かっているのです───世の中はウソ偽りに満ちている。そんな人の世で成功できるのは、ウソ人間だからこそなのだ。本物は破滅せざるを得ないのだ───と。
どうですか皆さん、そう思われてはいませんか。そして私播磨屋助次郎にも、可哀想だが・・・・・と同情してくださっているのではありませんか。
が、大丈夫、心配無用です。私は義経や西郷さんのように、ウソ偽りに満ちた世の中と格闘しているわけではありませんから。ただ、真実一元の世界に切り替えてしまおうとしているだけですから。
2009年 秋号
今回は、現代の日本人には少々難しいかも知れない(実はそうではないのだが)テーマです。
「もののあはれ(あえて旧仮名づかいにする)」を辞書で引くと、物事にふれて起こるしみじみとした情感、あるいは自然や人生に対して抱く落ち着いた深い情感などと説明してあります。
そして例として、徒然草の一節「もののあはれは秋こそまされ」が引用されています。しみじみとした情感は、秋が一番だというような意味でです。
こう言われると何だか難しそうに聞こえますが、要するに、対象を感情移入して観た時に起こる情感のことなのです。
これは日本人特有の情感で、外国人特に西洋人には、全く理解出来ないとよく言われます。例えば、日本ではセミの声・虫の声と言いますが、西洋ではそれは単なる音(騒音)でしかないそうなのです。
しかし実はそれは、西洋的競争原理が必然的に生み出す自意識過剰による後天的錯覚で、西洋人でも小さな子供は、もののあはれがよく分かるのです。
全てが西洋かぶれしてしまった現代の日本に生きるみなさん、もののあはれが分かりますか。地球の悲鳴が聞こえますか。みなさん、エコのこと、もっと本気で真剣に考えようではありませんか。
2009年 夏号
サマータイムとは、緯度の高い欧米諸国で日照時間の長い夏場に、時計の針を一時間進める時刻制度のことです。そのねらいは、時間の有効活用と省エネにあります。
世界的な環境問題への関心の高まりを受けて、日本でも近年、このサマータイムの導入をめぐる論議がさかんになってきています。例によって例のごとく、哀しい西洋崇拝感念をない交ぜにしつつです。
しかし本当は、おっとどっこいなのです。江戸時代の日本は、もっともっと賢い窮極のサマータイムを完全実施していたのです。ある日突然時計の針を一時間も進めるなどという不自然な方法ではなく、一年を二十四分割(二十四節季)して、その都度時計の針を微調整してゆくという自然な方法でです。
それは、日の出直前を明六つと定め、日の入り直後を暮六つと定めて、その間を各々六等分して一刻とする、非常に合理的な時刻制度でした。
昔日の日本人は、太陽の運行に合わせて(体内時計で)全く自然に生活していたのです。
断言します!真のエコ社会は、不自然な競争原理に基づく西洋的な考え方を全面的に改めて、自然な調和原理に基づく日本的な考え方に立ち戻らなければ、金輪際絶対に実現不可能だということを。
2009年 春号
「自然」を辞書で引くと大きく二つ、名詞としての意味と、副詞としての意味が記されています。
前者は、人工によらないで成り立っているさまとか、山川草木その他すべての有形的現象のことなどと説明されています。また後者は、おのずから、あるいはひとりでにと説明してあります。
日本人は古来、そんな「自然」を、前者は生命と見、後者はその営みと観てきました。
更にそれら生命や生命の営みは、個々バラバラではなく、無限に小さなミクロ世界から、無限に大きなマクロ世界に至るまで、すべてはただ一つの大いなる生命の営みの姿なのだと観てもきたのです。
ひるがえって今日、あなたは、自分自身とせいぜい家族ぐらいまで以外は、人も動植物も、全て別のモノと思い込まされてはいませんか。
また不思議この上もない自然の営みを、偶然そうなっているだけとか、勝手にそうなっているだけなどと、バチ当たりなことを考えてはいませんか。
実はそれは、あなたが西洋的大ウソ自然観に、すっかり洗脳されてしまっているからなのです。
母なる地球の生命の健康回復を心から熱望して、私播磨屋助次郎は叫び続けます。──日本人よ!人類よ!真実の自然観に立ち返れ!──と。
2008年 冬号
何年か前に訳あって、長年使ってきた洋服ダンスを大整理したことがありました。中は、わが人生の歴史博物館でした。一着また一着と新調してきたスーツが、全部で二十数着にもなっていたのです。
それぞれにその時々の思い入れや思い出があり、またどれもそれなりに大枚をはたいて買った品ばかりでしたので、非常に悩み迷いましたが、結局はほとんど全て処分してしまいました。デザインはともかくとしても、サイズ的に厳しい(特にズボンの腰回りが)ものが多かったからです。
その時、涙をのんで一着ずつ処分を決断しながらふと思いました。「これが着物だったら、こんな勿体ないことせんでもええんやけどなあ」とです。
今の若い人はご存じないと思いますが、着物にはS・M・Lなどのサイズがないのです。よほど大柄な人や小柄な人以外は、ほとんど大部分の人がきっちりと着こなせるように作られているのです。
だからこそ親から子へ、子から孫へ、いくらでも贈り伝えが出来たのです。また各パーツが全て方形なので繊維がほつれ難く、洗い張りをすれば仕立て直しも意外に簡単に出来たのです。
年も年だし、これからは少しずつ着物を・・・・しみじみとそう思うこのごろの私です。
2008年 秋号
式年遷宮は、伊勢神宮の最重要祭儀で、「神」にまつわるソフトとハードの総てを、二十年に一度、全く元初通りに復元刷新する伝統行事のことです。
奈良時代の天武天皇の発案と言われ、今回(平成二十五年の十月に完了)で六十二回目となります。
この祭儀に込められた知恵のレベルは、とてつもなく大きくかつ深遠ですが、ここではその核心だけを、極々簡単に説明します。
結論から言いますと、それは日本的自然観や生命観を具象化したものなのです。記紀(古事記・日本書紀)を深読みすればすぐ分かることですが、日本人は古来、自然は無限なる永遠なる、また完全なる生命の営みであると直観してきたのです。そして人間一人一人も、もちろんその一部であり一員であるとも直観してきたのです。
その上さらに、その基本原理が「新陳代謝」であることまで直観し得ていたのです。生命の営みが美しく輝いているのは、そしてまた永遠であるのは、新陳代謝あればこそだとです。以下は、私播磨屋助次郎が強烈に直観する近未来予測です。
今度の遷宮を機に日本の根本的新陳代謝が実現し ます。そしてその曙光が全世界のあらゆる闇を一掃し、環境危機は間一髪で無事回避できるでしょう。
2008年 夏号
世界一の花火好きは、間違いなく日本人です。日本では毎年、全国各地で計二千回以上もの花火大会が開かれますが、そんな国は日本だけなのです。
また好きこそものの上手なれで、日本の花火技術の優秀さは、ずば抜けて世界一でもあります。星と呼ばれる色とりどりの光の点が幾重にも拡がって見事な火の花を開かせるのは日本独特の技術で、外国でそんな美しい花火が上がったら、その下には必ず日本の花火師がいて、日本製の花火を打ち上げていると思ってまず間違いないようです。
ところで私が美しい知恵と考えるのは、そんな花火技術の優秀さをではありません。
戦争(人殺し)の道具であった火薬を、花火などという大衆娯楽向けに完全転用してしまった、日本人の深い意味での無邪気さをなのです。
西洋が人殺し道具の改良ばかりに血まなこになっていた十七~十八世紀、日本では武家町人あげての熱狂的な支持を受けて、「鍵屋」や「玉屋」が花火技術の改良工夫に没頭していたのです。
私は、そんな日本を心底誇らしく思いますし、そんな日本人が大好きです。
日本よ!日本人よ!目覚めよ!破滅に瀕する世界を救うは、日出づる国この日本の天命なのだから。
2008年 春号
これは私播磨屋助次郎が、環境問題の抜本的完全解決のために二十年来ずっと、全人類に向けて発信し続けている「人生の真実」です。
さてそこで和菓子です。今は茶道の影響を受けてか、何となく理屈っぽい貴族趣味的なものに変節してきていますが、そのルーツは間違いなく、 各家々手造りの素朴で庶民的な菓子であったはずです。
大福もちやぼたもち、串団子や柏もち、おはぎや栗きんとん等々です。おかきももちろんそうです。
これら和菓子の真価は、四季折り折りの自然の恵みに感謝し、その喜びを家族や隣近所みんなで分かち合いたいと願う、 日本人伝統の素直で和やかな心が、いっぱいに込められている所にあります。
日本人はつい最近まで、真実の人生にほぼ近い生き方をしていたのです。
明言します。人類覚醒へのカギは、私たち日本人が握っているということを。
2007年 冬号
その反対は分析観で、物事を部分部分に小分けして観察し、そこで見つけた法則を通して、 全体を概念的に類推しようとするものの見方のことです。
日本人は古来、何事に限らず前者を優先させて生活してきました。いえ日本人は、この世(大自然)は無限であり、 無限は直観的に把握する以外に理解のしようがないことを正しく知っていたのです。
対して西洋人は、概して後者優先です。直観は非科学的だとして退け、 何でもかんでも分解分析してその本質に迫ろうとするのです。
しかしながらです。ちょっと冷静になって考えれば誰にでもすぐ分かることですが、有限はいくら無数に積み重ねても 決して無限にはなりません。科学は、無限に対しては全くナンセンスなのです。
人は、マクロ的(宇宙向き)にもミクロ的(細胞向き)にも、間違いなく無限の中に生きています。
恐るべき環境問題の抜本的完全解決に向けて、今こそ伝家の宝刀が抜き放たれねばなりません。 今だけ・ここだけ・自分だけから、いつでも・どこでも・だれでもへの発想転換が焦眉の急であるのです。
2007年 秋号
こんな日本ならではの大きな美点の一つに、稲わらの完全有効利用があります。 わらがたくさん採れるよう長年にわたって品種改良してきたのは日本だけであり、日本の米作りは、反面わら作りでもあったのです。
さてそんなわら、最大の用途はやはり肥料で、全生産量の半分位は堆肥(積みごえ)か厩肥(馬屋ごえ)にしました。 これらと下ごえ(人の糞尿)とがあれば、稲は半永久的に連作可能だったのです。
次に多かったのは燃料としての用途です。またその副産物であるわら灰は、土壌を中和させる上質なカリ肥料として、 ほぼ全量が土に返されました。
残りは、様々に加工して生活必需品として利用されました。たたみ、むしろ、壁土の複合材、わらなわ、こも、たわら、 かます、わらじ、わらぐつ、わらぞうり等々、数え上げたらきりがありません。
以上は、高々百年ほど前までの私たち日本人の生活です。それに比べて今は―――。一体どちらが真実なのか。安心なのか。 そして本当に幸せなのか。
2007年 夏号
一方西洋では、どちらも馬車が一般的でした。
この違いを、西洋の先進性と日本の後進性ととらえている日本人が多いようですが、それはとんでもない思い違いなのです。
日本人は古来、私益より公益を優先して車の使用を自主規制してきたのです。
日本の道路は、江戸の目抜き通りの日本橋大通りでさえ、石畳ではなく土道でした。またそのほとんどが、両側か片側(稀に中央)に豊かで清らかな流れの水路を備えていました。
日本人は、夏の暑さ対策としての打ち水を、何より大切なものと考えてきたのです。
そしてそんな自然な道路を轍で傷めることなく美しく保ち、お互い気持ちよく旅ができるようにと、車を自主的に規制していたのです。
明治以降、西洋を猿まねして車を解禁した日本。
私たちはそんなに急いで、一体全体何を求めてどこへ向かおうとしているのでしょうか。
私たちは本当に進歩し、本当に人生の幸せに近付いていっているのでしょうか。
2007年 春号
特攻隊の本質は、純粋な自己犠牲の心にあると思います。出撃してゆく彼らの心には、影がほとんど感じられません。 清く明るく直い真心のままに、自ら進んで死地におもむいていったのです。(それは彼らの遺書や辞世を真剣に読めばすぐ分かります)
一体何が、彼らをして、そんな神のごとき心境にさせたのでしょうか。永年来の私の大きな疑問でした。 しかし今ははっきりと分かり、私自身、彼らと同じような心境になってきています。
その訳は、この国が潜在的に持っている「悠久の大義」にあったのです。世の中が大きく不自然になると、必ず天皇が出動して自然に返る。 そんな日本固有の国の在り方が、いつの日かきっと、全人類を心底納得させ得る普遍的な正義を樹立するに違いない。 彼らの潜在意識がそう直感していたのです。
その直感は、当たっていました。具体的には本冊子の裏表紙をご覧ください。 これは、特攻隊の若者たちの真心が私に書かせたものですから。
2006年 冬号
中でも取り分け大好きなのが、物を粗末にすることを厭う「もったいない」という心と、 謙虚こそ最大の美徳と考える「つつましく」という心です。
こたつは、江戸時代に発明されて、今も綿々と生き続ける日本特有の暖房器具です。
あらゆる贅沢になれっこになってしまった現代の日本人が、まるで前時代の遺物のようなこたつを捨て切れないのはなぜなのでしょう。
それは、こたつほど省エネルギーでつつましやかな、それでいて心身共にほっこりと温まる、日本人好みの暖房器具はないからです。
日本人は、冬でも半袖で過ごせるほどガンガンに暖房のきいた部屋で、ビールを飲みアイスクリームを食べながら、実は少しも寛げてはいないのです。
心の奥底深くから、こんな声なき叱責が聞こえてくるからです。 『おい、もったいないやないか。もっとつつましく生きたらどうや。そんな不自然がいつまでも続くと思うなよ』と。
どうですか。そうではありませんか。
2006年 秋号
実はそれは大ウソで、日本の江戸時代は人類史上まれに見る、ほとんど理想的とも言うべき真実すばらしい時代だったのです。
それはそうでしょう。西洋人が中心になって野蛮な侵略戦争ばかりしていた世界にあって、250年間も絶対的平和が続いたのです。 その間、物価の上昇はほとんどなく、大衆文化はらん熟し、国土は絵のように美しく整備が行き届いたのです。
しかもです。これこそが知恵の知恵たる神髄なのですが、そんな豊かな近代的社会に「環境問題」がその萌芽すらなかったのです。 江戸市民120万人を含む当時の総人口3000万人の日本人が、基本的に太陽エネルギーだけで、完全なリサイクル社会を完ぺきに営んで いたのです。西洋人先導で、破滅に向かって暴走しているだけの愚劣極まりない現代社会とは、そもそも知恵の次元が違うのです。
『日本人よ。もうよい加減目を覚ませ。愚者のサルまねなど止めて、偉大なるわれらが先人の英知に立ち返れ』大声でそう絶叫したい 気持ちの私です。
2006年 夏号
また今は既製品を買い求めますが、昔は生地を買って大方の女性が自分で仕立てていました。 特に子供のいる家では、母親が縫うのが普通でした。戦後生まれの私にも、母手作りの肩上げや腰上げをしたゆかたを 日常的に着ていた記憶があります。自分の手で縫って子供に着せるのが、母親としての楽しみであり、たしなみでもあったのです。
さて、そんなゆかたの一生です。 着古して外で着られなくなったゆかたは、寝巻にしました。 くたびれて軟らかくなったその肌触りが寝巻に最適だったからです。
寝巻として使い込んで布地が更に弱ってくると、今度は赤ちゃんのおむつにしました。 使い古したその風合いが赤ちゃんの肌には丁度良かったのです。
最後は雑布にして使い切り、最終的には燃料として燃やして、元の木綿の原料である二酸化炭素と水に戻していたのでした。
どうですこの美しさ。それに比べて・・・・・。
最も危険な絶滅危惧種は、他のどんな動植物でもない、私たち人類自身ではないのでしょうか。
2006年 春号
十七~八世紀、江戸は人口百万人の世界一の大都市でした。 消費する食糧も膨大量なら、排泄する屎尿の量も尋常なものではありませんでした。 しかし上のような実に合理的なすばらしいリサイクルシステムが、ほぼ完ぺきに機能していたお陰で、 世界一清潔な美しい都市でもあったのです。
因みに当時のパリやロンドンでは、相当上流階級の人々でさえ、大小便は「おまる」に取り、家の前の街路上に 無造作に投げすてていたと言われます。それ故に大都市はどこも大変に不潔で不衛生で、 コレラやペストなどの恐ろしい疫病が何度も何度も大流行したのでした。
更にこの日本式リサイクルは、環境にやさしいという意味でも最高です。 環境汚染物質を大量発生させて作る電力が頼りの現代の下水処理システムなどとは、そもそも知恵の次元がちがうのです。
断言します。今や世界的に大はやりの「リサイクル」の神髄は、何もかもすべて、日本の伝統文化の中にこそあるということを。
2005年 冬号
五年ほど前、縁あってその下立売御門のすぐ前に京都店を出させて頂いた私は、改めて感じ入ってしまいました。 京都御所には「防衛施設」が何もないのです。ただ背丈にも満たないごく低い石垣の上に土を盛っただけの、 子供でも楽々と侵入できそうな「精神的境界」があるだけなのです。
聖書が言う「剣にて立つ者は剣にて亡ぶ」で、武力や権力で人を支配し続けるのは、いくら強固に防衛したとしても絶対に不可能なことなのです。
日本は本当に不思議な、真実ありがたい国です。防衛する必要のない、従って永遠に存続する中心者によって国の統一を図り続けてきた、 世界で唯一の国が日本なのです。(余談ながら、本シリーズの最終回は、その「天皇」を取り上げる予定です)
ところで現在の皇居は元の江戸城、代々の中心者はさぞ住みにくかったであろうと思います。
もっとも私自身は、天皇がそんな「天の岩屋」から抜け出て、親しく一般国民の側に帰ってきてくださる日、 すなわち世界の夜明けの日が、すぐそこまで来ているとはっきり予見できているのですが。
2005年 秋号
それは「終末」に関するストーリーです。大きな災いがいろいろと重なってこの世の終わりが来てしまう。 しかしそこに救世主的な神が現われて、間一髪のところで破局が回避され、世の中に絶対の安心が戻ってくるという話です。 日本神話なら、天の岩戸開きの話がそれに当たります。
さて、そのどこがどう美しいのでしょう。それは困り果てた神々がその自助努力によって、救世主を出現させるというところにあります。 日本神話以外では、それは全くの他力本願なのです。
再びさて、私たち人類は今こそ、本当の「終末」を迎えつつあるのではないでしょうか。 地球環境の悪化、人口爆発、凶悪犯罪やテロの頻発等々、それを予感させる事象は数限りなくあります。
「救い」はどこにあり、どう実現すべきなのか。
日本こそがやらねば。神話は古代から現代へのメッセージ、私にはそう思えて仕方ないのですが。
2005年 夏号
ひるがえって、今はどうでしょう。余りの変わりようにあ然とさせられてしまいます。 一体どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
ほんのちょっとした愚かな勘違いがもとで、不自然・反自然をどんどん積み上げ続ける人間社会。 そしてその悪影響をもろに受けて、病み傷付き疲弊してゆくばかりの自然界(地球環境)。
まちがいなく自然の一部であり一員である私たち人間に病気や病人が増えるのは、 文字どおりの因果応報で当然過ぎるほど当然のことなのです。
身近に豊かに採れる旬の食べものを、自然からの貴重な贈り物だと考えて感謝して大切に頂く―――これこそが 日本人の食の原点であり、その心身両面での卓越した健康性の源であったのです。
その一つの典型が標題のうめぼしなのです。 日本古来の伝統的食生活には、現代の医学や栄養学の常識をはるかに超える、不思議なパワーが秘められているということなのです。
2005年 春号
私たち人類は、何より格段に重要なこの二つの質問の明答が、未だに分からないままでいます。
いえ実際は、次のようなとんでもない迷答を、明答だと勘違いし続けてきているのです。
「人生は、人間同士の優劣競争の場である」
「幸せは、競争に勝てば手に入るものである」
そしてこの大迷答こそが、有史以来人類を苦悩させ続けてきた諸悪の大根源であるのです。
さてそこで「花見」です。雪見、月見、紅葉狩り等々も同じですが、これらはすべて、自然を愛し敬い、 自然に親しみつつ生きることを無上の喜びと感じてきた、日本人特有の古い習わしです。
何と言うことでしょう。実は実は「花見」そのものが、どんぴしゃずばりの大明答だったのです。
「人生は、美しい自然の営みを愛で楽しみ、人間同士その喜びを交歓し合うべき場である」
「幸せは、そんな暮らしの中にある、不安や心配が全くない絶対的安心状態のことである」
(この明答性の論証は『真実』をお読み下さい)
世界の終末的大混乱を抜本的に救う道は「明答の明示」これしかありません。 自然大好き大国日本の本当の出番が、刻一刻と近付いてきているのです。
2004年 冬号
日本人は古来、自然を、個々バラバラの生命の集合体ではなく、ただ一つの大いなる生命の営みと考えてきました。
人間ももちろんその一部一員であり、自然の理法やリズムに合わせて生きるのが最も理想的な正しい生き方であると考えてきたのです。
そしてそんな「自然態」の完全習得を、人生の最終的目標(頂き)としてきたのです。
標題の「道」は、そんな頂きへの登山道のことなのです。当然ながらそれは一本ではありません。登頂ルートはいくらでも無数にあります。
「神道」と「仏道」を代表例として、「書道」「茶道」「華道」「剣道」「弓道」「柔道」等々等々、みんな本質は同じです。 極端な言い方をすれば、日本の諸文化のすべては、理想の自然態人間を目指す一種の方便であるのです。 (余談ながら今日、多くの「道」が他者との優劣や勝敗ばかりを競う傾向に堕してきているのは、実に哀しいことです)
商人などという卑賤の身にも「道」はあるのだろうか。あってほしい。私自身の見果てぬ夢です。
2004年 秋号
日本人は古来、虫の音に季節感と風情を感じ、人生を豊かに色彩ってくれる大切なものとして心からいとおしんできました。
私自身、こんなほのぼのと懐かしい思い出があります。七~八歳ごろのことだったと思います。 当時住んでいた姫路の家には狭いながらも庭があり、毎年秋口になると、日の暮れと共にどこからともなく、リッロッリッロッと 虫の声が聞こえてきました。
すると不思議なことに、誰に何を教えられた訳でもない子供心が、ああもうすっかり秋になってしまったんだと実感し、 何だかとても物哀しいある種感傷的な気分にさせられたのでした。
「人生は、人間同士優劣競争をするためのものではない。 それは実は、自然の美しい営みを愛で鑑賞し、人間同士心から楽しみ合うべきものなのだ」
実は実はこれこそが、人生の厳然たる真実であったのです。 そしてそれは、日本人一人一人の心のDNAにはっきりと刻み込まれているはずです。
世界の破滅を防ぐ救世の鍵は、私たち日本人の心中深く確かに確かに実在してくれているのです。
冬の寒さは、着重ねするなり火を焚くなりしてどうにでも凌ぐことができる。しかし夏の高温多湿だけはどうしようもない。
それ故に住まいは、夏を快適に過ごせるような構造にしておくべきだと説いているのです。
まず地面からの湿気を防ぐために、床を高くして床下の通風換気をよくしています。また屋内への風通しをよくするために、 開口部ができるだけ広く多く取られます。そしてそこへ入れる建具は、取り外しの可能な引き戸が多用されます。 日本家屋にドアーや開き戸がほとんどないのはこのためなのです。
屋根は断熱を重視して分厚い草葺きや樹皮葺きにされます。瓦葺きの場合でも間に大量の土をはさんで断熱効果を上げるよう工夫されています。 またそのひさしは長く伸ばされ、夏の直射日光が室内へ差し込むのを防ぎます。
このように日本式の家屋には、自然に争うことなく何とかうまく共存していこうという、日本人のやさしい心がたっぷりと反映されているのです。
2004年 春号
前者は、神々(自然及び祖霊)の専住域と考えられ、選ばれた特別の人間(修験者やマタギ等)以外、 決して近付いたり分け入ったりしませんでした。
それに対して後者は、神人交流の場と考えられ、人々は神々に敬意を払いつつも、誰かれの別なく日常的に出入りしました。
当然のことながら、里山には特定の所有者はなく、近隣地域住民みんなの完全な共有財産でした。
そこは山菜を採り、木の実を拾い、茸を狩る天然の永久食料庫でした。暖を取り煮炊きをするための薪を集める天然の永久燃料庫でした。
またそこは、体育心育のための天然永久公園でした。 更には、神々への感謝報恩の心を自ら学び教えられる、天然永久の宗教場でもあったのです。
そんなかけがえのない里山を、あるいはブルドーザーで、あるいは放ったらかしで、破壊しつくした末にたどり着いたのが今日の日本なのです。 幸せ(安心の別名)になどなれようはずはないのです。
今、日本の焦眉の急務は、景気回復などというアホらしいウソ事なのでは全くないのです。
2003年 冬号
前者は文字どおり、尊重すれば尊重され疎んじれば疎んじられる、大切にすれば大切にされ粗末にすれば粗末にされるという法則です。
後者は、あたかもたらいの水のように、こちらへ寄せれば向こうへ逃げ、向こうへ押せばこちらへ返ってくるという法則です。
古来、日本女性ほど、この深遠なる人生の要諦を正しく知り、賢く運用してきた女性はいません。
「日本」の優秀なるは、日本男性の優秀さによるのではありません。 男たちの潜在能力を上手に限界ぎりぎりまで引き出し続けた、日本女性の驚嘆すべき賢さによるのです。
私見ながら、「男尊女卑」と思われがちな日本の伝統的風習のすべては、実は女性側の発案になるものではなかったのか。 孫悟空とお釈迦様のあの関係です。私にはそう思えて仕方ありません。
いずれにしましても、もうそろそろそういう「かかあ天下日本」の真相を思い出してくださらねば。 われら日本男児、猛然とがんばりますぞ。
2003年 秋号
太宰治の小説『津軽』の一節です。古き良き時代の運動会の底抜けに明るい楽しさや、わくわくする興奮が臨場感いっぱいで伝わってきます。
運動会は、秋まつりとともに、日本のハレの行事の最大のものであったように思います。 そこには、私ひとりだけがというエゴの心がほとんどなく、みんないっしょに一斉にという農耕民族特有の美しい和合の心が満ちあふれていた ように思います。
本来なら、互いの競争意識が丸出しになってもおかしくない運動会ですら、家族のきずなを強め、 地域社会の一体感を一層増進する和合の場にしてしまう。 そんな日本人固有の調和を何より第一義とする考え方と、それを現実化できる英知こそ、日本が世界に誇れる真の財産なのではないでしょうか。
2003年 夏号
三度のめしより大好きな釣り、わけても初夏から初秋にかけて、文字どおり寝食を忘れてのめり込んでしまう鮎の友釣りの話です。
いつごろ誰が始めたのか定かではありません。もちろん日本固有のものです。類似の釣り方すら、世界中のどこの国にも全くありません。
極々簡単に説明します。自分の縄張りへの侵入者を体当たりで撃退するという、鮎の習性を巧みに利用した不思議な釣法です。 極細の糸につないだオトリと呼ばれる鮎を、長竿を使って出来るだけ自然に自由に泳がせるのです。 オトリはその尾びれの後方に錨型の鋭いかけ針を引っぱっています。 体当たりしてきた野鮎がそのかけ針に引っかかって釣れるのです。次はそのかかった野鮎をオトリとして使います。 それをくり返して次々と釣ってゆくのです。
古来、日本人は「自然を尊び自然を愛し、自然と共に自然に生きる」を生活信条としてきました。 そんな日本人万歳。そしてその発明になる鮎の友釣り万歳。―――しかし河川の汚染が年々歳々・・・・。
2003年 春号
―――なあんだ、アメリカは意外に寛大ないい国じゃあないか―――今も続く「戦後日本」が最初にやった何とも好都合な現実逃避第一号です。
本当は違うのです。
特攻隊のお陰だったのです。(正確には、特攻隊に象徴される日本固有の絶対的無私の心のお陰)
人間は、絶対的無私の行為を理屈抜きで畏敬してしまいます。万人共通の「神」を連想するからでしょう。 信仰の国を自認するアメリカは、日本に対して無茶なことができなくなってしまったのです。
日本人の心の奥底深くには、そんな尊い特攻隊の精神が間違いなく刻み込まれています。 そしてそれは、「日本」が今後真に亡国の危機に直面した時、絶対に必ず顕在化してくるはずと確信します。
申し訳ありません。おかき屋のDMらしからぬ話になってしまいました。 私は、桜の季節が近付くとなぜか、特攻隊の若者たちのことを思い浮かべてしまうのです。お許しください。
No.13 「朝日好き」
2002年 冬号
日本人は誰も皆、なぜか朝日が大好きです。初日を拝む習慣は日本独特のものです。 いえ、初日に限りません。日の出に出くわすと、日本人はつい無意識に手を合わせたくなってしまうのです。
ここから先は私の全くの私見です。悪しからずお許しください。
広大無辺なユーラシア大陸、太陽が昇ってくる方角(東・朝の国)に行ってみようと考えるのと、 逆に沈んでゆく方角(西・夜の国)へと考えるのと、一体どちらが素直な発想か、自然な情感か。
極東の国日本の旗印が朝日、極西の国イギリスから更に西へ大洋を渡ったアメリカのそれが星。 この事実は決して単なる偶然ではないはずです。日米両国の度重なる決定的衝突は歴史の必然なのです。
日本は今こそ、日本本来の自然な和合の心へ返らねばなりません。 不自然な競合の心のままでは、何をどうやってもアメリカに適うはずがないのです。 「人類と自然の永遠の和合の回復」日本の真の栄光は、ここにしかないと私は確信するのですが。
2002年 秋号
わけても、はるかに仰ぎ見上げる天空を悠々と巡り回る日月や星々は、その何より最たる存在でした。
「お日さま」「お月さま」「お星さま」は、決して幼児語だったわけではありません。お日さまには能動的で強くたくましい父親のイメージを重ね、お月さまには受動的でやさしく穏やかな母親のイメージを重ねて、誰もがそう尊称していたのです。
「お月さまにはうさぎが住んでいて、おもちをついている」私は七~八歳ごろまで本当にそう信じていました。皆様も同じだろうと思います。
それが今では、あろうことか「何か金目の物はないか、ロケットを飛ばして調べに行こう」です。
人間としてどちらが自然か、あるべき姿か、そしてまた一体どちらが本当に幸せなのか。
私にはこの究明こそが、かの有名な人類有史以来の絶対的大命題「人生とは何ぞや」の正解に直結していると思えて仕方がないのです。
秋の夜長の一興に、月でも見ながら、ちょっと考え直してみられてはいかがでしょうか。
風鈴は言うまでもなく、涼しそうな音色を楽しむためのものです。そしてこの「そうな」にこそ、非常に重要な意味があるのです。
「涼しい」と「涼しそうな」は全然違います。前者は体感温度であり、後者はいわば心感温度とでも言うべきものです。
体感温度は文字どおり温度そのものですが、心感温度は実際の温度とは直接関係ありません。 体感温度は扇風機やクーラーなどという大げさな物がないと下げられませんが、心感温度の方は心の持ち方ひとつでどうにでも自己制御可能なのです。
日本人は古来、衣食住すべてに「体感」より「心感」を優先させて暮らしてきました。 それが神すなわち大自然の意向に添った正しい生き方(今風に言えば地球にやさしい生き方)であることを直感的によく知っていたからです。
環境問題が悪化の一途をたどっている今日、私たち日本人は、風鈴の澄んだ音色にもっともっと心の耳を傾けるべきなのではないでしょうか。
2002年 春号
例えば和室は、寝室にもなり居間にもなり、襖を取り外せば大ホールにさえなります。また下駄や草履は、男物女物の区別こそありますが、 足の形や大きさは一切問いません。箸もそうです。ナイフ、フォーク、スプーンなどなどと分かれている、西洋のそれとは大違いです。
ふろしきも全く同じです。
わずか七八十センチ四方の小さな布きれ一枚で、小さなものでも大きなものでも、四角いものでも丸いものでも、ビンでもカンでも、 どんなものでも美しく包んで、しかもそのまま持って歩けるのです。
これらはすべて「物は何に限らず自然(神)からの授かりものである。知恵と工夫で最大限に有効活用するべき」と考えた、 日本人の正しい信仰心の現われによるものなのです。
押入れにたまるばかりの、色とりどり大小さまざまな手提げ袋の山を見る度に、重く苦しいため息が出て仕方のないこのごろの私ではあります。
2001年 冬号
例えば人間の移動手段として、徒歩よりオートバイが、オートバイより自動車が、より環境負荷が大きいというようにです。
そこで本題ですが、おせちはそんな環境負荷が非常に小さい料理です。 その材料は、すべて日本国内で豊富に採れ、だれもが容易にまた安価に入手できるものばかりなのです。
今はやりの「環境にやさしい」という精神を、日本人は昔からしっかりと身に付けていたのです。
更にそれは、他人に対する深い思いやりを秘めた料理でもあります。 この国では古来、身分や貧富の別なく皆が同じものを食べて正月を祝おうという、万民平等の精神が重んじられてきたのです。
何年か前に年始のご挨拶に上がった東宮御所で、おとそといっしょに頂いたおせちも、われわれ庶民のそれと全く同じものでした。
国内外に問題山積の今日、私たちはもっと真摯に先人らの英知に学ぶべきなのではないでしょうか。
2001年 秋号
自然こそ神であり、自然な心で自然に生きる人間もまた神であるというのが、神道の基本的な考え方なのです。
そんな神道の神観を、端的かつ具体的に現わしているのがみこしです。
祭礼の日、神は、人々が喜々として担ぐ輿に乗って辻々を家々をくまなく巡回します。そして神人一体の深い喜びの心を、 集落のすみずみにまでしっかりと浸透してゆくのです。
みこしは、日々の生活の場に神々の祝福を積極的に呼び込みたいと考えた、我が先人達のすばらしい英知の結晶なのです。
ところで、神を金ぴかの輿に乗せて大勢で担いで回るのは日本独特の奇習ですが、 あの有名な旧約聖書の中に全くうり二つの宗教儀式が記載されており、非常に興味深く思われます。
日本は、本当に不思議な国ではあります。
2001年 夏号
しかし、本当はそうではないのです。
仏教の本義には、先祖供養という考え方はありません。
先祖供養、すなわち生命の根源やそこからのつながりを大切にするという美しい風習は、日本固有の魂祭りという宗教行事から来ているものです。
それは、皇祖皇霊を崇め祭る皇室祭儀の流れをくむものなのです。
話が少し難しくなって恐縮ですが、私たち日本人の祖先は直感的によく知っていたのです。
大自然はただ一つの大きな生命の営みであり、それは陰陽(プラスとマイナス)の結び作用によって互いにつながり補完し合いながら、 過去から未来へ永遠に続いてゆくものだということをです。
現代の混迷は、「自分」や「個」を尊ぶあまり、この真実を見失ってしまった故のものなのです。
人は誰も皆、決して孤独な存在ではないのです。
こんな深遠でありがたいお盆の真意を、日本人一人一人がしっかりと認識し直すことが、今最も必要なのではないでしょうか。
2001年 春号
例えば衣食住ですが、各個人専用で仕立て直しのきかない洋服に対して、だれにでも着られ何度でも仕立て直しのきく和服。
高タンパク高カロリーで、環境負荷の大きい肉料理が中心の洋食。反対に魚や野菜が中心で環境負荷の小さい和食。
石を多用し、自然に対して閉鎖的な西洋建築。対して、木や土や紙で作られる開放的な日本建築。
この違いは、一体どこからくるのでしょう。
実は、自然に対する考え方が根本的に異なるからなのです。
西洋は、人間を自然とは別格の特別な存在として、人間と自然を対比対立させて考えます。
それに対して日本は、人間も自然の一部一員として、人間と自然を融和協調させて考えます。
どちらが是か非かはともかくとして、一体どちらがより自然な考え方か。
私は、秋の入学より春の入学の方がはるかに自然だと思うのですが、いかがでしょうか。
2000年 冬号
日本では古来、年越しの夜は眠らないのが習わしでした。新しい歳神さまを迎えるためにです。 家々の門口には神の依代(目印)として門松としめ飾りを飾ります。(これらの習わしは日本独特のものですが、 有名な旧約聖書の中にまるでそのとおりの記述があり不思議に思われます)因みに宮中では今も除夜祭が夜を徹して取り行われているそうです。
こんな日本固有の美しい風習に、仏教伝来以降その考え方が反映されて、除夜の鐘がつき始められたと考えられます。
日本人にとって元旦は、深い信仰に根ざした特別な意味を持っているのです。除夜の静寂の中、 どこからともなく聞こえてくる梵鐘の音に耳を澄ましながら、ゆく年をふり返り、生かされてある今を感謝し、くる年に希望をつなぐのです。
新世紀の始まりを告げる今年の除夜の鐘、あなたはどんな思いで聞かれるのでしょうか。
2000年 秋号
ところが実は、このような米の調理方法は日本独特のものなのです。 専門的には「炊き干し法」というのですが、日本以外ではすべて「ゆでこぼし法」で米を調理します。 米を大量の水といっしょに加熱し、煮立ったところで水を捨てて油で炒めたり、蒸し器に移して蒸し直したりして食べるのです。
しかし日本にだけは、その「ゆでこぼし法」自体が存在しないのです。おかゆであれ雑炊であれ、煮汁もいっしょに全部食べてしまうのです。
その理由はいろいろ考えられますが、日本人が米に対して特別の宗教的思い入れを持っていることが一番大きいのではないかと思います。 日本では古来米は生命の根源として神聖視され、米を粗末にすることは何より勿体ないことだったのです。
私たち現代日本人は、心身の真の健康を取り戻すために、もう一度そんな原点に立ち返って、 米食文化そのものを正しく見つめ直すべきなのではないでしょうか。
2000年 夏号
さて余談はともかく、そのようにして自分も手伝って家中の障子が真新しくなった時の何ともいえない清々しい気分は、 子供心にも格別であったように思います。 日本独特の建具である障子には、遮る・塞ぐ・隔るなどの建具本来の機能と、それと相反する採光機能とを併せ持つというすばらしい特長があります。 しかし私は、障子の真骨頂は、簡単な張り替えによって人の心を見事に刷新してしまうところにこそあると思うのです。
目前に迫った二十一世紀、久しぶりに家中の障子を全部張り替えて、真っ白な清々しい心で迎えようではありませんか。
1999年 冬号
それは、神道の神が自身の外にではなく内に存在するものであることを現わしています。 合掌し礼拝する対象は、まんまるい鏡にまんまるく映し出されたまんまるい自分自身、すなわち自己の真心なのです。
神道でいう神とは、人間誰しもに生まれつき等しく備わっている素直で自然な心(今日的表現では良心)のことです。 また神道本来の正しい参拝の仕方とは、自分自身の良心に対して、人としての正しい道を踏み外さないよう厳しく親しく見守ってくださいと 祈ることなのです。何と合理的かつ科学的なすばらしい考え方ではありませんか。
宗教とは、おおもとの教えという意味です。そして古来、何事も行きづまったら原点に帰れと言われます。 日本及び日本人は、今こそ、賢明なる祖先達の大いなる知恵に、人生の真価の何たるかをきちんと学び直すべきなのではないでしょうか。
1999年
一事が万事で、日本の伝統に今日的な意味での使い捨てという概念はありません。日本人は古来、自然を神として敬い、 自然が豊かであってこそ人間も幸せになれると考えてきたのです。自然からの頂きものである物を粗末にすることは、 人間として最も恥ずべき何より勿体ないことだったのです。何と当然といえば当然の合理的で美しい考え方ではありませんか。
流行のファッションできらびやかに着飾った昨今の日本女性より、洗い張りをしながら慎しやかに暮らしていた昔日の彼女たちの方が、 はるかに美しく魅力的だったように思えるのは、私の単なる懐古趣味に過ぎないのでしょうか。